[梅田望夫・英語で読むITトレンド]Blogでバーンアウトする人と、しない人の違い
このサイトは主に英語の勉強として毎日1度目を通している。今回TBがいっぱいついているのと分類については考えるところがあるので書いてみる。
今のBlogger世界には、「語るべき何か」が内部から沸き出てくるゆえ「信念を持って意見表明」しようとしている「信念・意見表明系Blogger」と、「語るべき何か」のきっかけは主として自分の外にあり、それを観察して、知を他の人と共有することに楽しさを感じたり意義を見出したりする「観察・啓蒙系Blogger」が混在しているのではないか。
もともと以前書いたように分類や一般化の能力には欠けるところがあるが、それは、分類とはこうあるべきだ、というような考えが自分の中にあり、それに値する分類をなかなか思いつかないために慎重になっている部分がある。
分類とは、例えばx軸/y軸のように、お互い直行した軸のみで可能になるものだと考えている。x軸のplus方向はminus方向とは全く相容れないし、また別のy軸という分類とも全く似通っていない。その分類の中で、ある点をxy平面の中にプロットした時に、どちらよりかという議論ができる。
さらに慎重にならなければならないのは、xy平面上にプロットする集合は、xy平面方向への分散が大きいことに意義がある。z方向の分散が大きい集合をxy平面上にプロットしても意味が無いのだ。
引用文は主にその前者の点から違和感を感じたように思う。次の記事から引用されているwww.textfile.orgの中の、
「観察・啓蒙」を通して「信念・意見表明」していることになるのだろうか
や、fantasticmetaphorsの
その完全な観察・啓蒙系と信念・意見表明系の間に連続した空間があるのではないかなぁ
というような混乱は理想的な分類では無い事の証明だと思う。同じ軸の、程度問題を言い換えただけのように思える。
ただし、議論を呼び起こすための刺激、としてはとてもおもしろい。
それでは、どんな軸があるのかというと、啓蒙/意見表明、という部分に類似があるのであって、観察系/信念系、というのはアリだと思う。そのblogが公に開示されない日記としても成り立つのか、という点に鍵がある。まぁ、これにしても、最初の不安の後者の点から不適当だ。
と、こんなにも拒否反応が「分類」に対して出ることを記録する、観察系のblogなのだ。
とってつけたようですが、梅田さんのblogは楽しみに読ませていただいています^^