今日から、hp移転完了。
新たなプラットフォームでなにをしようか。
生活レベル 43
先日、キャッシュフローゲームをひさしぶりに友人とやった。3人中1人だけrat-raceを抜けて夢をつかんで勝利!
ゲームバランスを支えているポイントは、職業を変えることができない、ということに1つある気がした。
医者に生まれるともともとのキャッシュフローが大きい変わりに不可避である出費が大きい。other expensesとか表現されているものとか、子の養育費とか。生活レベル、みたいなものでしょう。
現実世界では転職できるし、生活レベルを落とすことも意志次第。
生活レベルを落とす、を1つの選択肢として持っておけば、らくらく人生はもっと手に入れやすいものなのかもしれません。
生活レベル=豊かさ、は成り立たないので。
ご冗談でしょう 43
おもしろい本を読み終えたので、印象に残ったところを抜粋します。
その本とは、「ご冗談でしょう、ファインマンさん」著:R.P.ファインマン 訳: 大貫昌子
前にはあんなに物理をやるのが楽しかったというのに、今はいささか食傷気味だ。なぜ昔は楽しめたのだろう?そうだ、以前は僕は物理で遊んだのだった。いつもやりたいと思ったことをやったまでで、それが核物理の発展のために重要であろうがなかろうが、そんなことは知ったことではなかった。ただ僕が面白く遊べるかどうかが決め手だったのだ。 中略 僕はただ自分で楽しむためにいろんなことを発明したり、いろいろ作ったりして遊んだだけの話だ。
2つめ
芸術とは人ひとりひとりに喜びを与えるものだ。それに心酔するあまり幸福になったり、憂うつになったりするような、そんな力のあるものを人間はほんとうに作ることができるのだ!
3つめ
亭主というものは、いつも女房が間違っていることを証明したがるものだ。そして彼は世の亭主の常ながら、やっぱり女房が正しかったのだということを発見したわけだ。 もう1つ、綺麗にまとまった引用ができないが、日本についてほめている箇所は印象に残った。もっと自分の国を知りたい、嫉妬を思わせるような感情が喚起された。
桜 43
やっぱり出会いはおもしろい。
つまらなかった時の時間無駄にしたよ感、に対して、おもしろい出会いがあった時の興奮 x その起こりえる確率、が勝ててなかったイメージがあった。
あえて言い訳するならばそんな理由だった。
でもやっぱ集まるところには集まるんだね~。
新しい出会いとつながるところの充実っぷりなのでしょう(今回は田口さん)、おもしろい人はおもしろい人に惹かれ、好循環になっている気がします。
確率、を大きく感じる人/小さいと感じる人、この差は大きいんだろうな、。
positive thinking。
次の機会には、こっちの引き出しもあけてみようか。
伊藤志宏Live@赤坂B♭ 42
週末はいろいろありましたが、とりあえず土曜から。
伊藤志宏Live!@赤坂B♭(ビーフラット)
特に最初の2曲、大事な一瞬に立ち会っているような緊張感があった。
握り締めてもいないのに、手に汗をかいていた。
この日は滑り出しの演奏が一番好きでした。
その後は気のせいか苦しそうな、。
ベーシストがかっこよかったな、人懐っこそうな微笑を浮かべながらありえないsoloを弾く。ピアノ/ドラムのSoloの決まった!って時にそっちを向いて笑ったりするところがめちゃめちゃ楽しそうだ!
店の雰囲気も良かった。
志宏でなくとも、いつかふらっとまた立ち寄ってみたいです。
UAのCD: SUN も買うべし。。
居住国の選び方 23
印象に残った記事:居住国を選ぶ。
要するに、なぜ日本に住むかという理由をじっくり考えてみると実はそんなに無い、むしろ
本当はもっと素晴らしい環境に居住する「機会の損失」を被っている可能性がある
そして、
居住国としての日本の国際競争力が低下しているのは、間違いないように感じます。 このニュアンスの延長線上で、海外で活躍するプロ達の映像を見て「日本人もやるなあー」と手放しに喜んでいるのは、どうも危機感に欠けたしっくり来ない議論のようにも思います。 たしかに、。
会社でも、大阪へ行くのも欧へ行くのも変わらない、と言っている。友人、親から離れること、が一番大きい。
ただ、富よりも、引用元でかすかにふれている、才能、または知の流出の方が大問題だろうな。
そして問題は、こんなふうに国家間の壁が取り払われていくと、一体なにを判断基準として居住国を選択していくのだろう?
自分の生活ステージにしたがって居住国を変えるような生活スタイルになるのだろうか?例えば、結婚直後は教育制度のしっかりしている国、働き盛りは所得税の低い国、老後は福祉の厚い国?
言語の壁に阻まれている場合じゃない。
家探し試行の感想 13
ちょっと、一人暮らしでもしようかと思案中。
賃貸マンションの間取り図を見たりしている。
なんだか広さの感覚がわかない。
20m2と言われても、その広さをどう感じるのか、わからない。
実家の部屋の隅に立って、俯瞰した気分で眺めてみる。もちろん間取りは違うわけで、その中で錯覚に惑わされずに図面をイメージできている自信が持てない。
こんな時に、HMD(Head Mounted Display)があって、完全に視覚を入れ替えてしまえたらな、と思う。
そう、HMDはただ大画面を手軽に、というだけでなく、外界から視覚を完全に遮断するところにも特徴があるようだ。
思えば、そういった特徴をもつデバイスって少ないな、。
CSSと上流意識 23
hpのリニューアルを細々と進めています。
4/1までには完了させましょう。
CSSを少しいじっている。DIVを使って、ブロックとしてコンテンツを扱って配置していく。
htmlは直接秀丸エディタで書く。
CSSをいじり始めてしばらくすると、オブジェクト、idの使い方がポイントになることがわかってくる。
ソフトウェア開発でいう、コーディングのプロセスより、設計のプロセスに重点が移ってきていることを意識する。
一般的なプログラミング言語の世界が広がってきて開発者が増え開発規模が大きくなり、オブジェクト指向が生まれ、UMLが生まれ、価値が下流からだんだん上流にシフトしてくる。
そんな動きをweb開発でも感じた今日この頃。
CSSなんてだいぶ前からある技術でそんなふうに感じられるなんて。
上流が大切、という考えがだんだん世の中の一般的な常識として広がってくれば、「頭を使った開発」を些細な規模の開発にも意識してきて、人類の平均として頭が良くなったりしそうな。なんだかよくわからないけれど。
否定の技術 23
否定する、というのはすごく難しい技術を要する行為だと思う。
_| ̄|○
勤めている会社では、研究職、というジャンルの仕事についている。ちょうど3月、期の境目ともなると、今期の成果、来期の取り組み予定、等についてチェックされる。いわゆるMOT(Management of Technology)というやつかな。
その中で、自分のやりたいことを上に提案する。こんなサービスあったらうれしいな。こんな機器あったらうれしいな。技術的にはこんなところを解決したい、と。
自分のやりたいことが、会社のやらせたいことと一致するなんてことはめったにないので、基本的には否定される。わずかな提案が通る。
上司の一人は否定するのが下手っぴなのだ。その上司本人に大きな権限があるわけでもないので実際さして困らないのだが、精神的に辛い。別の上司は上手に否定する。近くにいるからこそその能力の差は目立つ。
否定は、感情的ではなく冷静に、また正確な裏付けを示して、するべきだ。
そして、可能であれば、その提案を別の方面から観察した時のメリットを示してあげるとなお良い。
否定される、のはそれ自体ダメージになるのは避けられなくて、その後新たな道を示してあげる、もしくは否定の原因となった評価方法に関する知識を補ってあげる、ことで立ち直りに時間かからないようにする、のが賢明なのかな~。。
映画感 44
映画を観た。先日テレビでやっていた「たそがれ清兵衛」と「英雄 -hero-」。
どちらも満足。
日本の映画は普段ほとんど観ない。
なんとなく、日本語をお金をはらって見る/聞くことに抵抗があるし、アクションやCGに特筆すべきものがあるわけでもなく。
現実が一番ドラマティックなのだ。
アニメはたまに見る。現実にはありえないし、技術的にも世界レベル。
「たそがれ清兵衛」は、アカデミーの外国語映画部門でノミネートされた、ということで興味をもった。
観て良かった。じわりとそう感じた。日本にしかつくれない映画なのかもしれない。
こういうのが多かったんならもっと観ようかな~。
「英雄 -hero-」はワイヤーアクションを見てみたかった。そろそろこの技術は限界かな?1本の中でも似たシーンが繰り返されたし、実際飽きた。
映像は綺麗だった。そう思わせようという思いが直接感じられて、素直に綺麗と感じた。
使う色の数が少なければ、絵になるんだな、きっと。単純だけど。
でも、多彩な色を使いながら、全体として調和が取れている、という方が感動しそうな。カンディンスキーとか。